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このテーマは時宜を過ぎているが、 いくつかトラックバックもいただき、考えが進んだので自分のメモとして書いてます。 イラク活動に関する名古屋高裁のような傍論がなぜ示されるのか? 今回のこの件について、 「一人の裁判官の意見」「自己満足に過ぎない」という保守系議員の意見もある。 元裁判官で弁護士の井上薫氏は、当事者のマイナス、裁判所のマイナス、 国家全体のマイナス、社会のマイナスに分けて「蛇足」を排除する (「司法のしゃべりすぎ」井上薫著・新潮新書91頁〜)。 そのなかで特に、重要なのは、 (1)「蛇足を当てにする訴訟の誘発」、(2)「裁判所の政治化」である。 (1)「ここで(社会運動家たちが)あてにする蛇足とは、法律的判断に限らず、自己の押す社会運動にプラスになることなら何でも良い。・・・・裁判所が(傍論を示して)同情してくれたことをマスコミが報道すれば、社会運動に弾みがつく。だから、同情論は原告らにとって有利な言質になる。同様の同情論を複数の裁判所からもらってさらに社会運動の足しにしようと考え、蛇足である同情論をねらいのひとつに入れて同種の訴えを新たに提起することにつながる。・・・・請求棄却の判決が確定しても、原告側は蛇足で勝った点をとらえて『実質勝訴』と認識し、その訴訟全体を勝利事案ととらえることが現にあるからである。」(同書116頁) (2)「政治の場は、理論的に結論を出すような思考は必ずしも通用せず、どんな意見を述べても必ず反対論者から反論を浴びる世界である。このような世界に向かって、法律に基づいて具体的事件を裁判することを職務とする裁判官が独自の意見を述べれば、反対論者から非難を受け、裁判の中立性に疑問が呈せられ、偏向裁判という評価がなされるだろう。」(同書119頁) たしかに、まさにこの名古屋高裁の原告団の浮かれように見るように、 傍論にはそのような消極的な面があるかもしれない。 しかし次にいうような積極的な側面もあることから、 学説でこの見解を支持するものはあまりなく、傍論に一定の意味を認める立場が有力だ。 「・・・・いうまでもなく(傍論は)拘束力をもたないが、将来の判例を予測する資料としては意味を持つ場合があることに注意する必要がある。傍論といえども大法廷または小法廷の裁判官の全員一致もしくは多数の意見として表示されたものである(*1)。そして、それは、将来他の事件を裁判する際にはそれ自体判例(*2)となるか少なくとも判例を生み出すものを含んでいることが少なくない。それには、判例のような後で変更されないという制度的保証はないが、その意見に加わった裁判官が後にその見解を変えることは少ないだろうと考えると、それもまたその程度において将来の判例を予測する材料だということができよう。その意味で、傍論にもひとつの働きが認められるのである」(「判例とその読み方」(改訂版)中野次雄編・有斐閣97頁) 要するに、傍論には、将来、傍論で扱われた論点について裁判所に訴えを起こしたら、 今回の傍論のような裁判をしますよ、という裁判の予告機能として 意味があるというのである。 ただ、この予告機能がどれだけ役立つかは具体的に考えてみる必要がある。 傍論が最高裁か下級裁判所のものか、その争点について裁判所に訴えを提起できるか、 などに応じて、予告機能がどれだけうまく働くかは違ってくるからである。 (1) 終審裁判所である最高裁の傍論は、15人中相当数の裁判官が入れ替わらない限り、 予告機能は高いだろう。 逆に、下級裁の、しかも代読による退官裁判官の判断では、予告機能はないに等しい。 (2) 裁判所への争点提起の可能性についていえば、 自衛隊が9条に違反するかどうかは「統治行為論」として司法判断をしない ということが判例として確定している。 統治行為論は、高度の政治的問題は選挙で選ばれていない裁判所ではなく、 選挙を通じて国会・内閣が判断した方が良い、という、裁判所の自己抑制の理論である。 そしてイラク派遣活動は、自衛隊の存在と同程度の政治的な問題だから、 最高裁でも統治行為論として司法判断がなされない可能性が高い。 司法判断ができず裁判で争えない争点ならば、事前予告するということはありえない。 そう考えてくると、名古屋高裁判決が傍論で示した違憲判断は、 裁判の予告としては機能していないことになる。 ここからは、酒を飲みながら思った自分の意見を書く。 傍論として採りあげられた論点について、裁判官の意見と政治家の意見では、 裁判官の意見のほうが法的判断としては信頼するに足りるのではないか。 裁判官は、法と事実に基づいて中立的に判断する。 政治家は、自分が正しいと信じる政策を主張する。 裁判官の判断のほうが法適合性が高いだろう。 問題は、傍論として示された裁判官の判断をどう生かすかだ。 個人的な意見に過ぎないだなどと黙殺するのは、 政治家みずからの判断を誤る可能性が高い。 公式には、「傍論であって拘束力はない」としていいが、 これからイラク派遣をする際に、傍論で違憲と判断した法律家がいたことを 常に忘れずに「重く受けとめる」ことが必要だろう。 画期的ではないが、信頼すべき法的判断として重視しなければならない。 いずれにしても「関係ねー」を擁護するのは、 話としては面白いけど内容も言い方も賛同しかねるし、 この問題はもっと真面目に考えるべきだ。 -------------------------------------------------------------- *1 中野次雄氏は最高裁判所の裁判だけを「判例」として捉え、下級裁判所の ものを「裁判例」としてそれと区別している。規範としての力が違うからだろう。 *2 中野氏は「判例」を、裁判例と広く捉えるのではなく、「結論とそれを導く直接 の理由付け(レイシオ・デシデンダイ)」に限定して狭く捉えるので、こういう言い方 になる(むしろこっちの用例のほうが一般的)。このブログでは、当初ここまで細かい 話をするつもりではなかったので、わかりやすさを重視し、「判例」を「裁判所で示さ れる判断」としている。 |
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憲法違反判決と上告
マスコミでは、憲法違反の判決と騒いでいますが、あくまでも傍論であり判決主 ...続きを見る |
taki-log@たきもと事務所 2008/04/23 14:25 |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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憲法判断は、憲法裁判所と呼ぶ最高裁にゆだねている国もある。下級審の、判決時には退職してしまった判事の傍論判決を、訂正できない司法制度そのものに問題があるのではなかろうか。 |
罵愚 2008/04/23 05:47 |
違憲だとするのならば、それを是正する裁判所命令を出さなかった時点で、憲法99条違反になるのではないだろうか? |
えまのん 2008/04/23 08:59 |
>罵愚さん |
tesa 2008/04/23 14:26 |
>えまのんさん |
tesa 2008/04/23 14:36 |
死語ですがね、バラックという言葉があった。平和憲法は、焼け跡に建てたバラックだった。そろそろ、建てかえないと… |
罵愚 2008/04/23 18:20 |
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